ねこ先生のつぶやき

私は、元養護学校(現特別支援学校)、中学校、小学校、予備校の担任であり、言語聴覚士でもあり、心理リハビリテイションのスーパーバイザーでもあります。ですので随分前から、教員、看護師、言語聴覚士、介護福祉士の養成校で障がい児教育、心理学、言語発達学、運動障害等の授業を行っています。ここでのエピソードを紹介します。集中講義の後、4年生のある学生が相談に来ました。「先生、教育実習で、教室を歩き回る子どもがいました。もし、4月から担任する学級でこのようなことがあったら、子どもに適切である支援学級を紹介したら良いのでしょうか」と。その時、即答したことは、「主語は誰ですか?」。主語が教員であると、『この子がいるから授業が進まない、学級運営がうまくいかない』と、ワタシの困りになります。主語が子どもであれば、『この子がわかる授業、この子を含めた学級運営』を考えることになります。そして、それは教員のスキルアップにも繋がります。そのように伝えたら、「わかりました!」と吹っ切れたような清々しい笑顔と元気な声が返ってきました。私も心が晴れるような感覚を覚えました。この学生はきっとすてきな教員になるだろうな。


人はよく、役職で人を判断します。たとえば、『学校の先生』であれば、勝手に先生像を作り上げてしまいます。そしてそれに合わないと、『先生なのに』と不満や愚痴へ。大切な子どもの限られた12年間を託しているので当然なことと思います。でも不平不満を言ったとしても解決になりません。先生をどう育てるか。私は、特別支援学校教員一年目の初めての学級会で、あるお母さんから、「そんな抱き方をして欲しくないです!」と、ズバッと言われました。それも他の教員、保護者がいる前で…。私の専門性ある特別支援教員への道のスタートです。一年目の年は特に貪欲に研修会に参加しました。そして3年目には大学院へ。
心の中は、『あのお母さんが認めてくれたら一人前!」。そのお母さんとは、その一言の事件以降、敵対関係ではなく子どもを中心に何でも話し合える仲でした。現在、教員養成の大学の授業で4月から教員になる学生に伝えていることは、子どもの専門家である保護者の方から学ぶことと名前だけの『先生』になるなということです。うちの二人の子どもの保育園と学校時代に一度も怠ることなく行っていたこと、それは、行事の前日と終わった日の連絡帳に、『よろしくお願いいたします。』と『お疲れ様でした。ありがとうございました。』と書き続けたこと。私は、発破をかけられて動き出しましたが、先生も人間ですから、寄り添い認めることで次の頑張りにつながると思っています。


今から28年前、自宅で障がいをもった子どもたちに学習指導を行っていた時、家には親猫が仔猫6匹を産み、マックス7匹が家中を駆け回っていました。自閉症のゆうちゃんは、お勉強を終えると毎回その猫たちを追いかけていました。そして、いつしか猫先生の名前をもらいました。30年近く毎月2回通って来られるゆうちゃんも、34歳になりました!


今日は、ゆうやんのことをお話しします。小学校1年生のゆうやんのある日の連絡帳の内容にお母さんはびっくり!『お子さんが給食で遅くまで食べていたお友だちのキウイを食べ、キウイはお友だちの好物で、泣いてしまったので、お友だちの物を食べないようにと注意しました。』と。お母さんは、「なんで食べたの!」と言いかけてハッとしました。『最近、家で何でも手伝おうとしているから、もしかして、遅くまで食べていたのを手伝おうとしたのかも…』。でも、お母さんはすぐにはゆうやんに聞くことをしませんでした。そして『最近、よくお手伝いをするようになったので、友だちの手伝いをしようとしたのかもしれません。先生から聞いていただけますか。』とお返事を書きました。翌日の連絡帳に、やはりそうだったとの返信がありました。お母さんは思いました。子どもの味方が増えたと。とかく、見えないところで起こった子どもの負の行動に対して、親は自分の育て方を問われていると感じ、子どもを責めてしまいがちです。でも、子どもはその時々成長した姿が大人にとって不都合な行動になることもあります。実はゆうやんはうちの娘です。私はすぐに問い詰めることなく、先生から聞いてもらうことで、先生に子どもの成長の姿を知ってもらう対応をしました。ありがたかったのは、先生の記述が細かく、そこから謎解きができたことです。共感の公式☞それは、『なんで!』を『だから・・・なのね』に代えること。ゆうやんには、『遅くまで食べていたから手伝おうとした?これからは、食べてあげようかと聞いてからにしようね』と、先生からのお返事を一緒に読みながら伝えました。


お正月の昔の遊びと聞いて、何が浮かびますか?「羽根つき」「凧揚げ」「福笑い」「こま」、他に昔の遊びとして、「ビー玉」「竹とんぼ」「お手玉」「ゴムとび」などなど、頭に浮かんだのではないですか。これらの遊びって、子どもの発達にとても意味のある遊びなのです。    
たとえば、「こま」…親指と人差し指でつまみ、2本の指の力で回します。「ビー玉」…親指と人差し指で弾いて、目標のビー玉に当てます。「こま」は親指と人差し指でつまみ続ける、「ビー玉」は弾く、加えて回す力加減、弾く力加減に注意を向けながら行う、と考えるとすごい遊びですね。「お手玉」両手の協応が必要です。片手のみに注意を向けるのでなく、投げる手と受ける手と渡す手、こんなに注意しなければならないのです。「福笑い」は3歳の頃の象徴化の段階といわれる、イメージの世界で見立て遊びやごっこ遊びをする子どもたちに絶好の遊びであり教材です。顔の輪郭の中に、顔のそれぞれのパーツの位置をイメージしながら置いていく空間認知を養う遊びです。「羽根つき」は、渡す相手、受ける相手を意識しながら力を調整していく、相手を伴う高度な遊びです。
このように考えると、私たちの先輩が考えた昔の遊びってすごいと思いませんか。


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